1994年(第2回)受賞者
氏名 | ジャック フランソワ バロー (物故) Jacques FranÇois Barrau |
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生年月日 | 1925年4月3日 |
国 籍 | フランス |
所属・役職 | パリ国立自然史博物館教授 (民族生物学・生物地理学研究所) |
授賞理由
オセアニア地域における民族生物学の調査研究に基づく自然と人間との共生への提言- バロー教授は、幼時を南太平洋のフランス領ニューカレドニアで過ごした体験に基づき、フランス本国のトゥールーズ大学を卒業後、1940年代から60年代にかけて約20年間、ニューカレドニアを拠点として、太平洋全域の島々に存在する有用植物と島の人たちとの生活を中心とする民族生物学の調査研究に取り組んだ。
この研究によって、バロー教授は、太平洋の島々(オセアニア地域)における 自然と人とのかかわり方と共存の姿を、その歴史を含めて、「オセアニアの食用 植物の起源、分布ならびに用途」(1962年)、 「植物と太平洋の人々の移住」 (1963年) などの論文としてまとめた。
島における自然の生態は、自然環境のあるべき姿を究極のかたちとして示しているものであり、そこにおける自然と人間との共存の姿を明らかにしたバロー教授の業績は、地球環境における自然と人間との共生のあり方について、貴重な提言を行ったものと言える。
地球的視野における自然科学と社会科学の統合的研究- 1965年、パリ国立自然史博物館の民族植物学および民族動物学部門担当副館長に任ぜられて活動の場をフランスに移した後、オセアニアにおける調査研究を基に、民族植物学や農学に人類学的な考察も加えた総合的な研究を続け、その成果を1983年に「人間と人間の食糧:人間の食糧供給に関する生態学的、民族学的な歴史に関する試論」と題する著書にまとめた。
この著書は、自然と人間との関わりの歴史を、食糧という面から地球的視野で考察したもので、その中でバロー教授は人間の食糧供給に関する問題を、人間が生物であるという側面と、社会的存在であるという両面から捉えている。そして、生きるための食糧、経済資源としての食糧、さらに豊かな生活を支えるものとしての食糧など、さまざまな歴史的経過の中での食糧の位置づけから、飢餓と飽食、支配の手段としての食糧、新しいタイプの美食など、食糧をめぐる諸問題を、生物学的、社会経済的、文化的各領域にわたって論じ、人類の歴史において、食糧供給がいかに重要であったか、また、現在および将来についてもいかに重要であるかを中心に、人間同士の関係について、また、人間と人間もその一部である自然との関係について、熟考しなければならないと述べている。
このようにバロー教授は、太平洋の島々の自然と人間との関わりを基点に、食糧という観点から、過去および現在、そして将来の「自然と人間との共生」のあり方について、全地球的な視野から、自然科学と社会科学を統合する研究を行ってきたということができる。
以上のように、バロー教授の研究業績は、その視点、方法論を含めて、コスモス国際賞がめざすものと合致しており、コスモス国際賞の授賞にふさわしい業績であると評価した。
略歴
1947年 | トゥールーズ大学卒 |
1947-1952年 | ニューカレドニア農政局長・ニューカレドニアを拠点に、南太平洋の島々の民族生物学研究に着手 |
1951年 | オセアニアにおける食用植物の起源、分布、利用に関する論文により博物学の博士号を取得 |
1964-1965年 | 米国エール大学人類学科・生物学科 植物科学担当客員教授 |
1965年 | パリ国立自然史博物館民族植物学・民族動物学部門 担当副館長 |
1975年 | 第12回国際植物科学会議(レニングラード) 民族植物学部会議長 |
1981年 | パリ国立自然史博物館教授 (民族生物学・生物地理学研究所) 第13回国際植物科学会議(シドニー)名誉副会長 |
バロー教授は南太平洋のニューカレドニアで幼年時代をすごしたが、その体験がもととなり、太平洋の島々について強い関心をもつようになった。そしてフランス本国で大学を卒業したのち、ニューカレドニアを拠点として、約20年間にわたり、ミクロネシア、ポリネシア、メラネシアなどオセアニア地域に属する島々の自然と人たちの暮らしについて、さまざまな角度から民族生物学的な調査研究をおこなった。
とくに、太平洋の島々の食用植物に関する研究は、国際的に高い評価をうけている。
1965年に研究の場をフランス本国に移してからも、太平洋での研究をもとに、人間と食糧をテーマとして、全地球的な視点から自然科学と人文・社会科学の両面にわたる総合的な考察を試みるなど、ユニークで意欲的な研究をつづけた。